東京地方裁判所 昭和54年(行ウ)151号 判決 1983年5月11日
原告
有限会社世論ニュース社
右代表者
西村冨男
原告
波田野清
原告ら訴訟代理人
大西保
横幕武徳
西村常治
金子哲男
被告
田無市長
木部正雄
被告
木部正雄
被告ら訴訟代理人
中村護
町田正男
波多野曜子
中島紀生
関戸勉
伊東正勝
主文
一 原告らの被告田無市長に対する訴えを却下する。
二 被告木部正雄は、田無市に対し、金一八万円及びこれに対する昭和五一年三月一日から昭和五三年四月一〇日までの年五分の割合による金員を支払え。
三 原告らの被告木部正雄に対するその余の請求を棄却する。
四 訴訟費用は、原告らと被告田無市長との間においては、全部原告らの負担とし、原告らと被告木部正雄との間においては、原告らに生じた費用の三分の二を被告木部正雄の負担とし、その余は各自の負担とする。
事実
第一 当事者の求めた判決
一 原告ら
1 被告田無市長が昭和五三年一二月二一日から同月二六日までの間に被告木部正雄に対してした金二七万円の債務の承認は、無効であることを確認する。
2 被告木部正雄は、田無市に対し、金二七万円を支払え。
3 訴訟費用は被告らの負担とする。
二 被告田無市長
1 本案前の申立て
主文第一、第四項と同旨
2 本案の答弁
(一) 原告らの請求を棄却する。
(二) 訴訟費用は原告らの負担とする。
三 被告木部正雄
1 原告らの請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
第二 原告らの請求原因
一 原告らは、田無市(以下「市」という。)の住民であり、被告木部正雄(以下「被告木部」という。)は、市長の地位に在る者である。
二 訴外新井正守(以下「新井」という。)は、訴外土屋工務店に対し、田無市本町二丁目五七一番地の一に鉄骨造モルタル塗陸屋根二階建店舗兼事務所(以下「本件建物」という。)を建築する工事を請け負わせていたところ、本件建物は、昭和五〇年一二月一〇日に完成した。土屋工務店は、本件建物内の水道の給水装置新設工事を訴外東洋設備工業こと高橋昭二(以下「高橋」という。)に請け負わせていた。
三 市は、東京都水道事業を経営する東京都から、同事業の市内における給水等に関する事務の管理及び執行を委託されているところ、高橋は、同年一一月一一日市の水道部に設計審査手数料を納付して前記給水装置新設工事の事前承認を受け、直ちに工事に着手し、同年一二月七日これを完成し、翌八日水道部に工事検査料を納付し、工事検査と給水の申込みを行つた。
四 そこで、水道部の係員は、同日高橋が所定の手続を経たのを確認して高橋に対し給水開始に必要な量水器を交付した。ところで、新井は、かねてより市の計画している田無駅北口地区第一種市街地再開発事業(以下「再開発事業」という。)に対し反対の立場を執つていたところ、被告木部は、新井を再開発事業に関する市との交渉のテーブルに着かせるための手段として、本件建物に対し給水拒否を行うことを決め、その旨水道部長に指示していた。そこで、水道部長の指示を受けた水道部工務係長は、係員より高橋に交付されたばかりの量水器をその場で高橋から取り上げてしまつた。その後、高橋は、水道部に対し量水器の交付を再三にわたり要求したが、水道部では、「上司の命令である。」としてこれに応じなかつた。新井は、本件建物を株式会社九州屋(以下「九州屋」という。)に賃貸し、同月一二日から使用させる予定にしていたところ、量水器の交付拒否により本件建物に対する給水を拒否され、本件建物の使用開始にも支障が生じてきた。そこで、高橋が水道部に対し量水器の交付が遅れている理由を文書で明らかにするよう要求したところ、水道部は、高橋に対し、「付近住民の要望及び市役所内部調整の為、なおしばらくメーターの引渡しを延期致します。」と記載した市長名義に係る「水道メーターの引渡し延期について」(通知)と題する同年一二月一三日付けの文書を交付した。そのため、新井は、やむなく同月一九日市を相手方として東京地方裁判所八王子支部に対し、本件建物につき水道の給水を求める仮処分(以下「本件仮処分」という。)を申請した。その結果、市は、同日ようやく量水器を交付し給水を開始するに至つた。
被告木部が水道部に指示して量水器を交付せず、もつて本件建物に対する水道給水を拒否した右の所為は、水道事業者に給水義務を課した水道法一五条一項又は二項に違反し、同法五三条の罰則に触れる違法行為であることが明らかである。
五 新井は、右の給水拒否により合計二四万円の損害を被つたとして、昭和五一年二月一八日市を被告として武蔵野簡易裁判所に対し、二四万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日から完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める訴訟(同庁昭和五一年(ハ)第二六号事件、以下「別件訴訟」という。)を提起した。市は、昭和五三年四月四日新井の請求を認諾し、これにより新井に対し二七万円(以下「本件賠償金」という。)を支払うことになり、同月一〇日その弁済をした。
六 ところで、被告木部は、市が原告に対し本件賠償金の支払義務を負担するに至つたのは自己が水道法に違反して給水を拒否したことに起因するものであることをおもんぱかり、本件賠償金は同被告個人が負担するとして、同被告個人の金員をもつて、右の昭和五三年四月一〇日に市長名義で新井に対し本件賠償金の支払をした。
しかるに、被告田無市長(以下「被告市長」という。)は、同年一一月二一日に至り、市議会全員協議会において、右の支払は被告木部が立替払したものであると説明した上、市から同被告に対する立替金の償還義務を履行するための措置として、同年一二月一三日二七万円の賠償金の計上を内容とする昭和五三年度市一般会計補正予算(以下「補正予算」という。)を市議会に提出し、同月二一日その議決を受けた。そして、被告市長は、同月二一日から同月二六日までの間に、被告木部に対し、同被告の立替払により市は同被告に対して二七万円の支払債務を負担していることを承認した上、債主を新井、受領者を同被告とする支出命令を発し、同被告に二七万円を支払つた。
七 しかしながら、立替払なる方法は地方自治法上許されておらず、新井に対する本件賠償金の支払を被告木部の立替払として認定することはできないから、右立替払の認定を前提としてなされた被告市長の前記債務承認は無効であるといわなければならない。
また、被告木部は、故意又は過失により水道法違反の給水拒否を行い、市に新井に対する二七万円の損害賠償責任を負わせ、もつて市に同額の損害を与えたのであるから、同被告の右所為は、市に対する不法行為を構成し、市は、同被告に対し、二七万円の損害賠償請求権を有する。
八 よつて、原告らは、昭和五四年九月二七日市監査委員に対し、本件賠償金に関し正常な支払手続と予算措置を講ずべきこと及び被告木部に対し市の被つた損害を補填させるために必要な措置を講ずべきことを求めて監査請求をしたところ、同監査委員は、同年一一月二〇日付けをもつて原告らに対し、本件賠償金の支出については補正予算の議決を得て議会の追認がなされ、それに基づく会計上の処理も終了しているから是正済みであり、また、「市長等の給与に関する条例の特例を定める条例」により市長、助役及び収入役の給料について減額措置が講じられ、実質的に損害が補填されているから被告木部に損害補填を求める必要は認められない旨の監査結果を通知した。
九 しかしながら、原告らは、右監査結果に不服であるので、地方自治法二四二条の二第一項二号の規定により被告市長に対し、行政処分である債務承認の無効確認を請求するとともに、同項四号の規定により市に代位して被告木部に対し、二七万円を市に支払うよう求める。
第三 被告市長の本案前の主張
原告らは、被告市長が昭和五三年一二月二一日から同月二六日までの間に被告木部に対し、同被告の立替払により市が同被告に対して二七万円の支払債務を負担していることを承認したものであり、右債務の承認は行政処分であると主張する。しかしながら、被告市長は、収入役に対し本件賠償金の支出命令を発しただけであつて、右支出命令はもとより行政処分ではなく、また、被告木部に対し債務の承認をした事実はないから、いずれにしても原告らの被告市長に対する訴えは不適法である。
第四 請求原因に対する被告らの認否
一 請求原因一ないし三は認める。
二 同四のうち、水道部が昭和五〇年一二月一三日高橋に対し原告主張の内容が記載された市長名義の文書を手交したこと、新井が同月一九日本件仮処分申請をしたこと、市が同日量水器を交付し給水を開始したことは認めるが、市が給水拒否をしたことは否認する。
三 同五は認める。
四 同六のうち、被告木部が同被告個人の金員をもつて市長名義で新井に対し本件賠償金を支払つたこと、被告市長が昭和五三年一一月二一日の市議会全員協議会において原告ら主張の説明をし、同年一二月一三日本件賠償金の計上を内容とする補正予算を市議会に提出し、同月二一日その議決を受けたので、支出命令を発し、同月二八日市から被告木部に二七万円の支払がなされたことは認めるが、その余は否認する。
五 同七は争う。
六 同八は認める。
七 同九は争う。
第五 被告らの主張
一 市は、昭和五〇年一二月二日、田無駅北口地区で商店を経営する訴外梶田孝之ほか三〇名(以下「梶田ら」という。)から、要望書の提出とともに、要旨次のような陳情を受けた。すなわち、「新井は、再開発事業に反対するため田無駅北口地区に貸店舗を次々と急造し、そこで商業道徳を無視した営業をさせて、他の商店経営者に脅威を与え、また、自己の店舗を食品販売業者に賃貸しながら、従業員の便所や手洗所を作らず、近くにある八光ストアー(梶田所有)などの便所等を利用させている状態で、衛生上からも極めて問題がある。ついては、市が中に入つてこの問題を円満に解決できるよう話合いの機会を作つてもらいたい。」というものであつた。そこで、被告木部は、右の問題を円満に解決するため、担当職員に対し、本件建物の建築状況及び所轄の田無保健所等の指導内容を調査するとともに、新井に対して地元商店主と出店について話合いをするよう申し入れることを指示した。被告木部の指示を受けた助役は、都市再開発部長と共に同月五日新井宅を訪問したが、新井が不在であつたので、新井の妻に右要望書のコピーを手渡し、話合いを持ちたい旨の伝言を依頼した。翌六日、再び都市再開発部長ほか一名が新井宅を訪れ、要望書の件で梶田らとの話合いを持つてもらいたい旨申し入れたが、新井はこれを避けるような態度で途中から外出してしまつた。同月九日にも、都市再開発部長ほか一名が新井宅を訪れ、同趣旨の申入れをしたが、新井はやはり従前と同様の態度を示したので、話合いを持つことができなかつた。
二 そのころ、被告木部は、水道部から本件建物の給水装置新設工事は未完成である旨及び都市再開発部から本件建物内での営業に係る保健所の許可がおりるのは約一〇日後である旨の調査報告を受けたので、助役に対し、紛争解決のため水道工事の指導を適切にするよう指示した(水を止めるよう指示したことはない。)。これを受けて、助役は、水道部に対し、「住民より陳情が出ているので、事実確認及び話合いができるまで給水を待つてもらうよう申込者に伝えなさい。」と指示した。同月八日、新井の代理人高橋が来庁し、水道部に水道使用開始申込書を提出し、材質検査料、立会費及び工事検査料を納付して量水器の交付を求めた。しかし、右給水装置新設工事については、未だ栓管番号札(シール)が設置されておらず工事が未完成であつた上、助役から前記のとおり指示が出されていたので、工務係長は、高橋に前記指示事項を説明して水道の使用開始を少しの間待つてもらえないか、と述べた。これに対し、高橋は、何ら異議を述べずこれを了解して直ちに帰つた。同月一〇日、高橋が来庁し、工務係長に対し、「うちは土屋工務店とは長い取引で信用にかかわるから、土屋工務店に量水器の設置延期の理由を知らせる必要があるので、延期について市の文書をもらいたい。」との申入れをした。そこで、工務係長は、同月一三日高橋に対し、「水道メーターの引渡し延期について」(通知)と題する文書を手交した。それ以後、新井及び代理人高橋から給水開始の催促等が一切なかつたので、市としては同人らが市の申出を承諾したものと思つていた。
三 その間、被告木部は、定例市議会で多忙を極め、同月一〇日には高血圧で田無病院に入院したので、前記陳情の問題について具体的な指示ができなくなつたし、まして新井の給水問題については入院の前後を通じて一切具体的な指示をしていない。
四 ところが、新井は、同月一九日になつて突然本件仮処分申請を出した。水道部長と工務課長が同日早速東京地方裁判所八王子支部に出向き、裁判官の審尋を経た後、助役に電話連絡をして対応を協議した結果、新井に給水することになり、同日給水を開始した。その際、新井が梶田らとの紛争について後日誠実に話合いをする旨約束したので、裁判所により同月二二日が話合いのための期日として指定されたが、新井は、結局話合いを拒否し、本件仮処分申請を取り下げたため、話合いはされないまま終つた。
五 新井は、昭和五一年二月一八日別件訴訟を提起し、以後同訴訟事件の審理が続けられていたが、被告木部は、新井の主張は全く理由がなく、再開発事業を妨害するための濫訴としか考えられなかつたものの、長期間訴訟を継続することは再開発事業を円滑に進める上で好ましくないとの政治的判断から、請求認諾により別件訴訟を終了させることを決定し、これに基づき、市は、昭和五三年四月四日の口頭弁論期日において新井の謂求を認諾し、本件賠償金二七万円を支払うことになつた。
六 被告木部は、収入役に対し、本件賠償金の支払について、「別件訴訟について被告木部の政治的判断により請求の認諾をしたことの政治的責任を執るため、法に反しない方法で取りあえず自己の所持金から本件賠償金の支払をしたい。」との意向を示した。これに対し、収入役は、後日正規の会計手続を経る予定で、被告木部個人の金員によつて本件賠償金についての市の弁済を行うことを承認した。そこで、被告木部は、同月一〇日、本件賠償金についての市の弁済として、同被告個人の金員から二七万円を市長名義で支払つた。
七 被告市長は、同年五月から九月ころにかけて、収入役らと右会計手続の方法につき慎重に検討した結果、立替払の手続を執るのが客観的にも相当と判断し、被告木部と市との関係を準委任、すなわち同被告が準委任契約の履行として本件賠償金の立替払をしたものと認め、同被告に対して二七万円を償還する等の会計上の是正手続を経ることにした。こうして、同年一一月二一日、被告市長は、市議会全員協議会において右の旨報告し、次いで同年一二月七日市議会に本件賠償金の計上を内容とする補正予算を提出し、同月二一日その議決を受けた。これに基づいて、被告市長は、本件賠償金の支出命令(立替払をした被告木部への支払支出も含む。)をし、収入役は、同年四月一〇日に同被告の所持金により新井に二七万円が支払われていることを確認して、同年一二月二八日同被告に二七万円を支払つた。
八 以上のとおり、市は、昭和五〇年一二月五日以降住民間の紛争を避けるべく、前記要望書の内容を調査し新井と梶田らとの話合いの機会を設定するため、新井の代理人高橋を通じて新井に対し水道使用開始延期の申入れをする一方、新井と直接面談する等して話合いの申入れをしていた。これに対し、新井は、同月八日以降市に対して水道使用について何の催促も異議申立てもせず、また、損害等についても一切訴えることもせず、助役らの面談による申入れに対し誠実な回答をしないまま日時を経過させ、同月一九日になつて突然本件仮処分申請に及んだものである。これを要するに、市は水道使用開始申込みの受理を最終的に拒否したものではないし、また、新井及び代理人高橋も市の水道使用開始延期の申入れを承諾していたものといわざるを得ない。仮に、右使用開始延期の申入れが給水拒否に該当するとしても、前記住民間の紛争を解決するため一時留保したものであること、新井及び代理人高橋にも外形上留保を承諾していたと認められる事情があつたこと、その他本件の全事情を総合すれば、市の給水拒否には水道法一五条の「正当の理由」があつたものというべきである。
また、被告木部自身は、水道部等に給水拒否を指示したことはないのであつて、同被告には水道法違反の事実はなく、故意過失による違法な職務行為は存しない。
第六 証拠関係<省略>
理由
第一被告市長に対する訴えの適否について
原告らは、被告市長が昭和五三年一二月二一日から同月二六日までの間に被告木部に対し二七万円の債務承認行為を行つたとして、地方自治法二四二条の二第一項二号の規定に基づき、その無効確認を求めている。しかし、同号の無効確認の対象となる行政処分は、行政庁が公権力の行使として行う行為であつて、外部すなわち国民に対して直接の法的効果を生ずる行為であることを要するところ、弁論の全趣旨に照らし、被告市長は、公権力の行使として、被告木部に対し、それにより同被告に二七万円の請求権を形成するような行為を何ら行つていないことが明らかである。したがつて、原告らの被告市長に対する訴えは、確認の対象を欠き、不適法として却下を免れない。
第二被告木部に対する請求の当否について
一原告らは、被告木部は市長として故意又は過失により水道法違反の給水拒否を行つて新井に損害を与え、もつて市に新井に対する二七万円の損害賠償責任を負わせたもので、同被告の右所為は市に対する不法行為を構成し、市は同被告に対し二七万円の損害賠償請求権を有すると主張するものであるか、その主張に沿えば、市の新井に対する損害賠償責任は国家賠償法一条一項の損害賠償責任であり、市の同被告に対する損害賠償請求権は同条二項の求償権にほかならない。もともと、右の求償権は、同項を請求権発生の根拠規定とする特殊な請求権ではなく、債務不履行(ちなみに、市と市長との関係は、委任契約関係と解される。)又は不法行為に基づく損害賠償請求権にほかならず、同項は、公務員がその職務を行うについて第三者に損害を加え国又は公共団体に損害賠償責任を負わせた場合につき、国又は公共団体が当該公務員に対し損害賠償請求権を有することを確認的に規定するとともに、請求権の発生を当該公務員に故意又は重過失の存したときに限定したものである。そこで、以下、同項の定める要件に従つて、市が被告木部に対し二七万円の請求権を有するか否かを検討することとする。
二請求原因一ないし三の事実は当事者に争いがない。また、市が昭和五〇年一二月一九日に本件建物に係る量水器の交付と給水の開始を行つた事実も、当事者間に争いがない。
東京都給水条例(昭和三三年東京都条例第四一号)によると、東京都水道事業の水道を使用するため給水装置を新設しようとする者は、あらかじめ東京都水道事業管理者(以下「管理者」という。)の承認を受けなければならない(四条一項)。給水装置の新設の設計及び工事は、管理者又は管理者が指定する者が施行し、後者が施行する場合には、工事着手前に管理者の設計審査を受け、かつ、工事竣工後に管理者の工事検査を受けなければならない(六条)。そして、水道を使用しようとする者は、あらかじめ管理者に申し込み、その承認を受けなければならず(一三条一項)、管理者は、給水するときは、使用水量を計量するため給水装置に東京都の量水器を設置する(一四条一項)ものとされている。
前記の当事者間に争いのない事実によれば、土屋工務店から本件建物に係る給水装置の新設工事を請け負つた高橋は、市内の給水等に関する事務の管理及び執行を委託されている市から、工事着手前に設計審査を受けた上、工事を竣工させ、昭和五〇年一二月八日、市に対し、工事検査の申込みをすると同時に、新井の代理人として給水の申込み(水道使用開始予定日は本件建物完成の同月一〇日と推認される。)を行つたところ、市は、同月一九日に至つて量水器を交付し、給水を開始した。したがつて、市は、同月一〇日から同月一九日まで、新井の本件建物に係る給水申込みに対して承認を留保したものといえる。
そこで、右の承認留保が、水道法一五条一項の「水道事業者は、事業計画に定める給水区域の需用者から給水契約の申込を受けたときは、正当の理由がなければ、これを拒んではならない。」との規定に違反するか否かが問題となる(なお、原告らは、同条二項違反も主張するが、本件は、給水承認前の事案であるから、同項違反を論ずる余地はない。)。
新井は、同月八日の時点においては、所定の手続を経て本件建物に係る給水装置の新設工事を竣工させ、工事検査料を納付していたのであるから、市としては、特段の事由のない限り、水道使用開始予定日の同月一〇日までには工事検査を行つて給水の承認を行うべきであつたというべく、同月一九日までの承認留保は、一時的にせよ給水契約の申込みを拒んだものとして、水道法一五条の規定に違反するといわざるを得ない。なお、被告木部の主張の中には、栓管番号札が設置されていなかつたから右工事が未完成であつたとの主張がみられるが、栓管番号札の設置が工事竣工に不可欠とは認められず、右主張は工事検査が未了であつたとの趣旨と解される。そして、市としては、同月一〇日までには工事検査を行うべきであつたものであり、右工事が不完全なものであつたことをうかがわせる証拠はないから、同日までには給水の承認を行うべきであつたというほかない。
右の給水承認の留保につき、被告木部は、①新井が承認留保に同意していた、②承認留保につき「正当の理由」が存する、③同被告自身は承認留保まで指示していない旨主張するので、以下これらの点につき検討を加えることとする。
三<証拠>によれば、次の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。
1 新井は、昭和五〇年一二月一〇日に土屋工務店から本件建物の引渡しを受け、同月一二日からこれを魚肉練製品製造業等を営む九州屋に賃貸することを予定していた。
2 被告木部は、市長として、同月二日梶田らから、要望書を添えて要旨次のような陳情を受けた。すなわち、田無駅北口地区の大地主である新井は、かねてから再開発事業に反対して貸店舗を次々と急造し、これを同事業に賛成する商店の競争業者に貸し付け、安売りをさせるなど、賛成派の商店主に対し多大の不安を与え圧迫を加えており、今回も九州屋に賃貸するため本件建物を建築中であるが、このままでは賛成派の商店主の中から脱落者の出る虞もあるので、市当局において、賛成派の商店主が新井と話合いのできる機会を作つてもらいたい、話合いを担保するため、本件建物への水道、電気、ガスの供給を停止してもらいたい、というものであつた。その際、陳情者からは、新井が本件建物の建築工事で近隣に迷惑をかけながら、何の挨拶もしていないこと、新井の貸店舗は便所等の設備が不備で、その従業員が近隣ビルの便所を使用するためトラブルが起つていること等の訴えがあつた。陳情を受けた被告木部は、助役、都市再開発部長ら市幹部と協議した結果、新井が再開発事業反対者の中心的存在で、賛成派の梶田ら商店主との間で従前から紛議が続いていたことから、本件建物に係るトラブルを放置しておけば、市の懸案事項である再開発事業の施行に著しい支障が生じることになると判断し、トラブルを円満に解決するため仲裁を試みることを決め、助役らに対し、本件建物の工事状況及び九州屋に対する営業許可の有無等を調査するとともに、新井に対し梶田らとの話合いを申し入れ、その間に新井から本件建物に対する給水の申込みがあつても、給水を一時見合わせることを指示した。
3 同月五日、助役及び都市再開発部長が新井宅を訪れたが、不在のため会えず、同人の妻に前記要望書のコピーを手渡し、話合いをしたい旨の伝言を依頼した。翌六日、都市再開発部長ほか一名が新井宅を訪れ、新井に「市が仲介するので、トラブルを話合いで解決して欲しい。」と申し入れたが、新井は、明確な回答を避けた。更に、同月九日、都市再開発部長が新井宅を訪れ、重ねて話合いを申し入れたが、新井は、「自分で何をしようと自由だ。それについて立ち入つて欲しくない。地域の人達とは既に何回となく話し合つた。私の意見は十分地元の人達に話しているから、一切話合いには応じられない。」と述べた。同月一二日ころにも、助役が第三者を介して新井に話合いに応ずるよう申し入れたが、新井の承諾は得られなかつた。
4 市水道部においては、給水装置の工事検査前に、水道工事店に量水器を交付して設置させ、その後に工事検査と給水の承認を行う取扱いをしているところ、高橋は、同月八日水道部に工事検査と給水の申込みをした際、係官からいつたんは量水器及び栓管番号札の交付を受けた。ところが、水道部長から指示を受けていた工務係長は、高橋を呼び止め、「実は新井と住民との間にトラブルが生じ現在話合い中なので、給水はもうしばらく待つてもらいたい。」といつて、高橋から量水器を取り戻した。高橋は、同月一〇日には土屋工務店に対する給水装置の引渡しを予定していたため、同日水道部に赴き、量水器の交付が遅れている理由を記載した文書をもらいたい、と要請した。そこで、工務係長は、助役、水道部長らと相談した上、「新井正守氏に係る水道工事メーターは付近住民の要望及び市役所内部調整の為、なおしばらくメーターの引渡しを延期致しますので通知致します。」と記載した「水道メーターの引渡し延期について」(通知)と題する市長名義の文書を作成して、同月一三日高橋に交付した(同文書の交付については当事者間に争いがない。)。なお、水道部では、量水器交付前であつたが、同日工事検査を実施した。また、被告木部は、同月一一日高血圧症のため入院した。
5 九州屋は、新井から本件建物を一日一万二〇〇〇円の賃料で賃借し、また、保健所長から同月一二日付けの営業許可を受けて、同日から本件建物において魚肉練製品製造業を開業した。開業当時、前記の事情から水道が使えなかつたので、近隣の店舗からホースで水を引き、便所を借りる等して急場をしのいだ。そして、新井は、同日以降同月一九日までの八日間、給水の遅延による損害の補償として、九州屋に一日当たり一万円あて合計八万円を支払つた。
6 新井は、高橋や、市管工事組合幹部、弁護士等と給水問題の対応策を協議した結果、市長名義の前記通知文書が出されている以上、市を相手方として給水を求める仮処分を申請するほかないと判断し、弁護士に委任して同月一九日東京地方裁判所八王子支部に本件仮処分を申請した。同日、同裁判所の裁判官が助役及び水道部長に勧告した結果、市では仮処分命令を待たないで直ちに給水を開始することを決定し、同日午後四時ころ高橋に量水器を交付し、本件建物に対する給水を開始した。なお、新井は、本件仮処分申請のため、弁護士に対し一〇万円の報酬を支払つた。
四三記載の事実をもとに、まず、新井が前記給水承認の留保に対し同意していたか否かを検討するに、承認留保は新井と梶田らとの話合いがなされることを担保するための手段として執られた措置であるところ、新井は、昭和五〇年一二月八日高橋を通じ本件建物に係る給水申込みをして以来、市に対し直接給水開始の催告をしてはいないものの、同月九日市の都市再開発部長に対し話合い拒否の態度を明確に表示している。そして、双方から話合いに関する何らの具体案も出されていないこと、高橋において市に対し量水器交付遅延理由につき文書による回答を求めていること、本件建物が同月一〇日完成し、九州屋が同月一二日から本件建物で営業を開始していること、新井が同月一九日本件仮処分の申請に及んでいることをも総合勘案すれば、新井は、給水承認の留保について同意を与えていないものというべきである。
五次に、前記給水承認の留保につき水道法一五条一項の「正当の理由」が存するか否かを検討するに、右の「正当の理由」とは、水道事業の適正な運営を図るという水道法の目的から判断してやむを得ないと認められる事由であることを要すると解される。しかるところ、三記載のとおり、市は、再開発事業の円滑な進展を図るべく、再開発事業をめぐつて対立する新井と梶田らとの間で話合いをさせるための担保として承認の留保をしたものであるから、「正当の理由」が存するとはいえない。
六そして、被告木部は、三記載のとおり、助役らに対し前記給水承認の留保を指示したものである。この点につき、助役である証人永井博は、被告木部からは事案の調査を命じられたのみで、承認留保までは指示されなかつたと証言している。しかし、同証人の別件訴訟における証人調書である前掲乙第一三号証には、被告木部から右の指示が出された旨の記載があり、また、同被告の申述書である前掲乙第七号証にも、「本件処理に当たつては、話し合いを進め、円満に解決するよう指示した。」と記載されている。更に、前掲甲第一二号証によると、被告木部は、市議会全員協議会において、「市長は強権は持つていないが、水道の工事についてある一定の期間待たせるようにしようということで、水道の工事についてブレーキをかけた。」、「水道の延期を市長が命じたわけである。」、「法的に市長には何も権限はないが、そういう調査も必要だということから、接続することを延期させた。」等と説明していることが認められ、右の認定を維持するほかない。
七そうだとすれば、前記給水承認の留保は、水道法一五条一項の規定に違反し、新井に対する不法行為を構成するものであり、また、被告木部は、承認留保につき故意を有していたから、市は、新井に支払つた本件賠償金二七万円のうち、承認留保と相当因果関係を有する分につき、国家賠償法一条二項の規定に基づき、同被告に求償できるものというべきである。なお、市が被告木部に求償できるのは、右のように承認留保と相当因果関係のある損害金に限られるのであつて、市が新井に対しそれ以上の支払をしたとしても、過大支払として同被告に求償することはできない。
ところで、市が被告木部に対し求償権を行使するためには、市が新井に対しまず賠償金を支払うことが必要であるところ、新井に対しては昭和五三年四月一〇日に本件賠償金二七万円の支払がなされており、この支払は、市長名義でなされたもので、新井に対する市の弁済として有効である。右支払は、被告木部個人の金員をもつてなされたものであるが(この点は当事者間に争いがない。)、市長たる被告木部が市長名義で行つたものであるから、右支払資金はいつたん市に帰属していると認むべきであり、市が同被告に対し求償権を行使するに妨げはないというべきである。仮に、右の時点では市に損害が発生していないとしても、同年一二月二八日に至り、市が被告木部に二七万円の償還をしていることは同被告の自認するところであるから、いずれにしても市の公金から新井に対する弁済がなされたものというべく、市の同被告に対する求償権の行使に妨げはない。
そこで、市が被告木部に対し求償できる金額について検討するに、新井が、前記給水承認の留保によつて合計二四万円の損害を被つたとして、昭和五一年二月一八日市を被告として、右損害金及びこれに対する訴状送達の日の翌日から完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める別件訴訟を提起したこと、市が、昭和五三年四月四日請求の認諾をし、新井に対し合計二七万円を支払うこととなり、同月一〇日その弁済をしたことは、当事者間に争いがない。そして、<証拠>によれば、新井が別件訴訟において市に請求した二四万円の内訳は、新井が九州屋に対し給水がないことの損害金として支払つた前記八万円、本件仮処分申請のための弁護土費用である前記一〇万円及び交通費等名目の六万円であることが認められる。このうち、九州屋に支払つた損害金八万円は、承認留保による損害と認められる。また、三記載の事情の下においては、新井が給水を受けるため本件仮処分の申請に及んだのもやむを得なかつたと考えられるから、そのための弁護士費用一〇万円も、承認留保による損害と認められる。しかし、交通費等名目の六万円は、右の証拠によるも、内訳が不明で、新井が実際に出費したか否か、留保と相当因果関係が存するか否か明らかでない。新井の別件訴訟における本人調書である甲第八号証によると、新井自身、右六万円には新井が電気の供給を受けるため東京電力武蔵野支社に赴いた際の交通費、給水開始後に再開発事業問題で市と話し合うため裁判所に赴いた際の交通費、弁護士等の接待費、接待の際の新井自身の食事代等が含まれていると供述していることが認められ、承認の留保との因果関係はかなり疑問といわざるを得ない。したがつて、右六万円は承認留保による損害と認めることができず、右二四万円のうち市が被告木部に求償できるのは、右八万円と一〇万円の合計一八万円というべきである。また、市が新井に支払つた二七万円と右二四万円の差額三万円は、弁論の全趣旨により、二四万円に対する別件訴訟の訴状送達の日の翌日から昭和五三年四月一〇日までの年五分の割合による遅延損害金と別件訴訟の訴訟費用と推認される。訴状送達の日は明らかではないが、訴えの提起が昭和五一年二月一八日であるから、遅くとも同月中には訴状の送達がなされたものと推認できる。したがつて、三万円のうち、右の一八万円に対する同年三月一日から昭和五三年四月一〇日までの年五分の割合による遅延損害金は、承認留保による損害と認めることができる。しかし、その余の遅延損害金及び訴訟費用については、承認留保との相当因果関係が存するとはいい難い。よつて、市は、被告木部に対し、新井への支払金二七万円のうち、一八万円及びこれに対する昭和五一年三月一日から昭和五三年四月一〇日までの年五分の割合による金員につき求償でき、その余については求償できないものというべきである。
なお、請求原因八記載のように、市長等の給料について減額措置が執られたとしても、それは懲戒処分としての性格を有するものにすぎず、右求償権の成否に影響を与えるものではない。
八したがつて、原告らの被告木部に対する請求は、市への一八万円及びこれに対する昭和五一年三月一日から昭和五三年四月一〇日までの年五分の割合による金員の支払を求める限度において理由があるからこれを認容すべきでありその余は理由がないから棄却を免れない。
第三結び
よつて、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条一項本文の規定を適用して、主文のとおり判決する。
(泉徳治 大藤敏 立石健二)